Month: 1月 2018

今まででとにかく痛いところがあったことを思い出す

痛いところがあったことを思い出しましたが、イライラした時になぜかストレスを発散できなかったりするのでよく考えたら神経や筋を違えていました。足の神経とか筋ですが、発散しようとしてもまづ足の神経や筋から治さないと発散にもならなかったのです。足の筋を痛めたのは数年前かそれ以上前ですが、発散しないと気持ちが悪いのはどんなことがあってもストレスであっても自分なので同じでした。発散はしないと気持ちが悪いので無理ですが、できたら気持ちが良いです。痛いところがあるまま発散しずらいなと気づいていて、ほっとかれもしないくらい人からの反応があり、反応を嫌な風に思うくらい本人にしてしまっていてそういう慣れが考えの麻痺を誘発します。嫌なので発散しますが、段々何かありながらも進む生活は、止まらないわけです。止まらないので痛いなら痛いで無理やり治せるなら治しますが、嫌なことに首を突っ込まないようにしたいんです。誰かと面を合わせる羽目になるだけで止まるというよりは発散を止められるわけです。

巻き込まれたらそのまま怒鳴ったりしたりする

野次の野暮ったさの面白さのかけらのなさで、語らされます。お金のなさ、それが理由の面白さ、喋る者に適当に触れたりして放任みたいなありよう。暇でも同じ、降らして長引かせても同じ、ダメはダメという文字だみたいな考えをやっているなら、もっと触れないで見てます。怖い話みたいなくくりでも良いですかね。意外と話も素の問題になってきて、正直面倒くさいんですよね。意味も真意も理解まではされないので、ある意味害を持つ者とも大差のないくらいには、正常な害にはなっているのかなとは思います。総替えの意味があっても、怒鳴れる雇用枠で民間の払われなさの差みたいなものは、本当に反吐が出ますよね。怖い話でも、金縛りや解離障害みたいなのは、本当に離されない力としか思えないですからね。これが現実にありましたよ。事実こんなことを言っているところがあるんですからね。執着がいつか終わるとしても、そのいつかなんていつだかは誰にも分からないですもんね。